| 1962年 (昭和37年) 3月31日 土曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
| ライヴ演奏:サブスクリプション・ルームズ/ストラウド | ||||
  
  
この日ビートルズはサブスクリプション・ルームズ  
  (Subscription Rooms)  
  に初めて出演した。この会場はグロスター州ストラウド  
  (Stroud, Gloucestershire) のジョージ通り (George Street)  
  にある大きな建物である。
これは南イングランドでは通算2回目のショーであった。1回目は1961年12月9日にアルダーショット (Aldershot) のパレイ・ボールルームで開催されたショーで、その時彼らは悲惨な思いを経験している。しかし今回は、初めてブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) のマネージメントによりブッキングされている。
このイベントはサム・リーチが企画したアルダーショットのショーとは異なり、カーナ・バラエティ・エージェンシー  
  (The Cana Variety Agency)  
  というしっかりしたロンドンの企画会社によって開催されたものであったが、サブスクリプション・ルームズでのショーは好ましいものではなかった。この会社はジョン・[ジャック]・ファロン  
  (John [Jack] Fallon) とビル・フレイザー・ライド (Bill Fraser  
  Reid) が経営し、南イングランドでのイベントを企画/開催していた。
 
    
| 1962年3月31日に 'ビートルズ' と呼ばれるあまり知られていないグループのショーが開催されました。明らかにそのリヴァプールのグループはストラウドにはウケませんでした。というのは、彼らは6ヶ月後に再び戻ってくるのですが、観客は半分も戻って来なかったのです。 | |
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| ストラウドは最悪のショーの一つでよく覚えている。 開演の時にほとんど誰も観客がいなかった、これは嬉しくないね。 不良少年の一団がコインを僕らに投げ付け始めた。僕らはしまいには拾って歩いたよ。  | 
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  この時はビートルズの他にレベル・ラウザーズ (The Rebel  
  Rousers) も出演しており、8:30pmに開演して11:45pmに終了した。このイベントの広告チラシには「議会からの要請により、不良少年は入場禁止。女性はピンヒールの着用禁止。」と書かれていた。
 
    
  
  ビートルズはサブスクリプション・ルームズには2回出演している。
| 1962年: | 3月31日、9月1日 | 
ファロンとライドは別会社の傘下で多くの会場を経営していたが、ビートルズはその内のジェイビー・クラブ (Jaybee Club) に4回出演している。
ファロンはビートルズの歴史においてもう一つの役割を演じている。1968年7月12日、リンゴの作った『Don't Pass Me By』(ホワイト・アルバム収録) のレコーディングセッションで、バイオリンを弾いているのは彼である。
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