| 1961年 (昭和36年) 12月10日 日曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
| ライブ演奏:ブルー・ガーディーニャ・クラブ/ロンドン | ||||
  
  12月10日の早朝 (深夜)、アルダーショット (Aldershot) 
  のパレイ・ボールルーム (Palais Ballroom) 
  での惨憺たるショーの後、ビートルズはロンドンに向かい、ソーホー区 
  (Soho) 
  のクラブに入る。彼らはそこで即興的な演奏を披露した。
アルダーショットでのショーの後、ビートルズはやけ酒を飲んで酔い、その会場で騒ぎを起こしてしまう。深夜の1:00amに外に出てみると、警察が彼らを待ち受けていた。彼らは町を去って戻らないように言い渡される。
見知らぬ土地で泊まる場所のあても無い彼らは、車でロンドンに向かい、ブルー・ガーディーニャ・クラブ (Blue Gardenia Club) へたどり着く。そこはカス&ザ・カサノバス (Cass & The Cassanovas) の前のシンガー、ブライアン・カッサー (Brian Cassar) が経営するクラブだった。それはセント・アンズ・コート (St. Anne's Court) にあるほとんど知られていない小さなクラブであったが、そこにいた数人の深夜の酒飲みたちは、ビートルズの予定外の演奏というご馳走をふるまわれた。
アルダーショットのショーは、リヴァプールのプロモーターのサム・リーチ 
  (Sam Leach) 
  が、ビートルズの名前を英国の南部にも知らしめるために企画された。そのショーにはリーチの運転手に雇われた友人のデイヴ・ジョンストン 
  (Dave Johnstone) 
  と、ビートルズを乗せてリヴァプールから9時間ヴァンを運転してきた、やはりリーチの友人であるテリー・マッキャン 
  (Terry McCann) も参加していた。
    
| 僕は「そんなに遠くないからロンドンに行こう」と言った。それでカス&ザ・カサノバスのブライアン・カスがやっているブルー・ガーディーニャ・クラブに向かった。彼は僕の昔の仲間だ。僕らはその店を「オールナイター」と呼んでいた。演奏の仕事が終わるとみんなそこに行ってたからだ。彼らはそこに集まるとステージに上ってジャムってたもんだ。あの夜にはジョージー・フェーム 
          (Georgie Fame) もいたと思うよ。
           僕らはそこで楽しい時間を過ごした。ジョージ・ハリスンはその時いなかったと言う人もいるけど、僕はいたと思う。というのは誰かが僕に「お前、いいギタリスト見つけたじゃないか」と言ったのを覚えていて、それはジョージのことだったはずなんだ。 とにかくビートルズは本当に演奏を楽しんで、3:00am頃までそこにいた。それからまっすぐヴァンに戻って、リヴァプールまでドライブさ。  | 
      |
| 
           
  | 
        
           テリー・マッキャン  | 
      
  
  リヴァプールへの帰路の途中、ビートルズを乗せたヴァンはガス欠になった。マッキャンは彼の最後の5ポンドを費やしてなんとか給油した。彼はこの5ポンドのことをビートルズには秘密にしていたのである。
    
| 彼らは僕が5ポンド持っていたことは知らなかった。そうでなければあの時点まで僕が持っていられたはずがない。彼らはタバコであれ2シリング銀貨であれ、最後まで大事に秘蔵しているのを何でも持っていくんだ。 | |
| 
           
  | 
        
           テリー・マッキャン  | 
      
  
  マッキャンは12月10日のお昼頃に、メンバーをそれぞれの家まで送り届けた。ビートルズはその日の夜には、リヴァプールのハイトン 
  (Huyton) にあるハンブルトン・ホール (Hambleton Hall) 
  に出演することが予定されていた。
| 前の記事 | 目次 | 次の記事 | 
| ライヴ演奏 パレイ・ボールルーム  | 
        ライヴ演奏 ハンブルトン・ホール  |